Life

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生い立ち

エリック・クラプトンは1945年3月30日にサリー州リプレイでパトリック・クラプトンの私生児として生まれた。
父親はイギリス駐屯のカナダ兵のワード・フライアーという人物で、エリックが生まれるとすぐに妻子のいるカナダへと帰ってしまった。 母親のパトリック(通称パット)も「自分が育てるべきではない」と判断し、エリックが2歳のときに祖父母にあずけられた。 一方、パットは別のカナダ人と結婚して、ドイツへと行ってしまった。
祖父の名はジャック・クラップ。祖母はローズ・クラップという名であったが、実は祖母が再婚で前姓がクラプトンであった。 その2人に本当にかわいがられて育ったらしい。
5歳のときに実の母がイギリスにいないことを知らされるが、9歳のときに突然母親が目の前に現れる。そのときパットは2児の母。 エリックも混乱したが、それから一緒に生活を送ることとなる。
しばらくして母親とエリックは打ち解けた。祖父はデレク&ドミノズ時代の1970年に他界。祖母のローズは1994年に亡くなった。

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若き日

クリーム時代にアリス・オームスビー=ゴア(日本では"おにぎり"といじめられそうだが…。)という女性と うわさになったのが最初。そのアリスと'70年から5年間ほどの同棲生活に入るが、2人ともドラッグにおぼれる。 アリスはお嬢様でハーレッチ卿の娘。そのハーレッチ卿が社会復帰のためのチャリティ・コンサートを勧めて、 '73年のレインボー・コンサートとなった。その影では、友人ピート・タウンゼントの協力があった。
ピートタウンゼントのおかげで、3年ぶりに人前でプレイし、その1年後にエリックは復帰した。 アリスと2人でヘロイン中毒治療を受け回復したのだが、2人の関係は終止符を打ち、'95年にイギリスのボスコンベ海岸で アリスは死んでいるのを発見された。死因は麻薬中毒。
その後、エリックはアルコール中毒になってしまう。'70年代後半から'80年代はじめまで、ずっと苦しんだ結果、 中毒から抜け出すことに成功する。(アルコール中毒救済慈善団体にまで力を入れている。)

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レイラ

おなじみの「レイラ」はジョージ・ハリスンの妻パティ・ボイド(ハリスン)。'64年のビートルズの映画 『ビートルズがやってくる!ヤア!ヤア!ヤア!』で知り合い、パティは'66年にハリスンの妻となるが、 ビートルズのメンバーとその恋人や妻同伴でクリームのコンサートを見に行ったあとのパーティーで パティはクラプトンと知り合うこととなる。クラプトンはジョージ・ハリスンと友人でもあったため、 パティの妹と交際をはじめた。
パティは宗教に熱を上げているジョージの気を引くため、クラプトンに気があるように振舞うが、すぐに クラプトンは撃沈(振られてしまった)。これが『Layla』を生んだ。
その後、ジョージはパティと離婚し、クラプトンとパティは同棲生活に入った。('76年に同棲開始。正式離婚は '77年)
そして、'79年3月27日クラプトンとパティは結婚した。
けれども、子供に恵まれなかった二人は'89年に離婚することとなる。

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子供

'85年1月11日にイヴォンヌ・ケリーという女性が女の子を出産し、クラプトンは認知する。名前はルース。 その翌年、ローリ・デル・サントが男の子を出産。名前はコナー。
このコナーが'91年3月19日にローリの住む53階のアパートの窓から転落した。4歳半だった。
この話はとくによく知られている。これが、'92年のグラミーを受賞した『TEARS IN HEAVEN』と関係深いことは 言うまでもない。この他、同じアルバムの『Unplugged』にある『SIGNE』やその収録ではカットされた『SIRCUS LEFT TOWN』は コナーへ捧げられた。

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